つれづれ色々綴るブログ

こちらのblogではエッセイを書いています。楽しんで頂けたら幸いです♪

朝散歩は魔法の調味料

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健康的なダイエットに目覚めて半年が過ぎた。

筋トレと、高たんぱく・低脂肪・低糖質の食事を続けているが、このところ体脂肪率、骨格筋率ともにあまり変化がない。

そんなある日、朝に有酸素運動をすると脂肪燃焼率が上がるというのを思い出した。

有酸素運動は筋肉肥大を妨げるということも知っていたので、取り入れることをためらっていたが、さけていた結果が今の状態なわけだし、実験の感覚でやってみることにした。

 

まずどんな有酸素運動にするのか考えた。早朝に強度な運動は危険なので、やはりウォーキングだろう。では歩くならどういうところを歩けば飽きずに続くのか?を考えてみた。

私が朝のウォーキングで一番面倒だと思うことは、人とすれ違った時に挨拶するかしないかで迷うことだ。だから人になるべく会わない所いい。また交通量が多い騒がしいところも歩きたくない。

 

こういう時はグーグル先生に聞くのが一番だ。私は毎朝5時に起床し、歯磨きと洗顔後、常温の水をコップ1杯とプロテインを飲む。そのあとグーグルマップであらかじめ歩く道を調べてからスタート!田舎なのでのどかな風景の道がたくさん見つかるのだが、さらに早い時間だと車も少ないし、人にも会わずに済む。

どのくらい歩いているかというと、健康に良い影響がある歩数が一日7000歩前後ということを知り、朝散歩の歩数は大体4000歩台になるようにしている。時間にすると30分ほど。残り3000歩は日常生活で達成できる。

 

早朝の散歩では人や車に会わない代わりに、猫や鳥などの生き物に出会うことが多い。

自由ネコなのか飼い猫なのかわからないが、ある朝は猫会議の現場に遭遇したこともある。

その証拠を写真に残したいところだが、彼らの逃げ足の速さに私のスマホ操作が追い付かず、残念ながらいまだ実現できていない。先日は大変けたたましい面白い鳴き声の鳥を発見したので調べてみると、「ガビチョウ」という鳥で、ペットで飼われていた外来種が野生化した鳥で特定外来生物らしい。つまり存在をあまり喜ばれていない鳥・・・

他に珍しいものにも出会う。普通の住宅の郵便受けが白や黒色の郵便ポストだったり、八百屋さんの店先に「パンヅー」(パンジー)という手書きの立て看板があったり(笑)いろんな発見がある。それらを証拠として残すべく、スマホの持参は欠かせない。

 

朝散歩を始めてまだ数週間だが、体の変化としては、取り入れているトレーニングと、食事内容の変更の影響も手伝い、わずかだが体脂肪率の減少と骨格筋率が増加した。そして朝から頭がとてもスッキリしている。

他にも、交通量が少なく人と会うこともない早朝に田舎の町を歩くと、空の広さだとか、虫や鳥の鳴き声、澄んだ空気、植物の美しさ等々に気づき、普段見ている景色の見方が変わる。しかしなんといっても一番の「好果」は食事が美味しくなったことだ。

これまで朝食はそこまで積極的に食べたいとか、美味しいとは思えていなかったが、ここ最近はいちいち美味しく感じるようになった。これは別に自分が料理上手だということをアピールしているわけでは無く、ホントに「粗食」が美味しく感じられるようになったのだ。

 

つまるところ、朝散歩は私にとってまさに「粗食」を「美食」に変える、魔法の調味料。無くてはならないものになった。

※今回は証拠の画像を添付します↓

 

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勝ったのか負けたのか?

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世の中には勝敗がはっきりしない戦いというものがある。積極的に攻めない代わりに、失点をしないようガチガチに守備を固めたうえで、針の穴を通すような一本の絶妙なスルーパスと、フォワードの勇気ある飛出しにより数少ないチャンスを確実に決めていくという、いわゆるサッカーの「負けない」戦い方や、どっちがイケてるか?というマウントの取り合いなどのように、主観的で不毛な争いを連想するのが一般的だろう。しかしもっとレベルの引くいところでは特殊な戦いもある。

私は週に一回、食料の買い出しに行くのがルーティン化している。自宅近辺にも名の通ったスーパーは何軒かあるのだが、産直の野菜が少なかったり、魚もいつも同じ種類ばかりが並んでいて、気に入ったものがあまり売られていない。したがってガソリン代と、片道15分の時間の消費に目をつぶり、ドライブ気分で隣町のスーパーまで出かけている。

先日もそのスーパーへ出かけたが、ついつい買い過ぎてしまい、持参したエコバックに入りきらなかったので、補助的に用意して来たレジ袋も使う羽目になった。買ったものはいつも車の後部座席でシートベルトを這わせて固定している。そうしないとちょっと深めにブレーキを踏んだだけで袋が倒れ、中身が散乱するという大惨状になるからだ。今回は袋が二つ分。メタボなオッサンのお腹まわりくらいの大きさになったが、シートベルトは何とか周ってくれた。

ほっとして帰宅するべく車を走らせると、間もなくフロントガラスに何かがついていることに気が付いた。最初はそれが水滴に見えたので雨が降ってきたとのかと、最近洗車したばかりなことを思い出しがっかりした。しかし良く見るとそれは小バエぐらいの大きさの羽虫だった。

これがなかなかの強者で、走っていればそのうち風圧に負けて飛んでいくだろうと思いきや、なかなか飛んで行かない。止まっている箇所がフロントガラスのため、目の前のヤツがだんだんと気になってくる。時々苦しそうに上下左右に体勢を変えたりはするものの、帰り道の半分まできてもまだしぶとくしがみついている。「こしゃくな!」こちらもだんだんとむきになってきたところで、ちょうど田んぼの中の直線一本道にさしかかった。後続車両もいない。一気に加速して交差点手前で急ブレーキをかけたその瞬間、敵はいままでのしぶとさが嘘のように一瞬で姿を消した。「勝った!」と心の中でガッツポーズ(笑)

しかしそれと同時に後部座席からドサッという耳障りな音が聞こえてきた。そう、買い物帰りには絶対起きてほしくない自体が起きてしまったのだ。しかも今日は卵を買っていて袋の一番上に乗せていた。すぐに車を路肩に停め事態の収拾にとりかかると、奇跡的に卵は無事だった!原因はシートベルトは周っていたがずり落ちていて、急ブレーキのGに荷物の重さが耐え切れず倒れてしまったようだ。「こんなくだらない競い合いをしたことが原因だろ!」という心の声は私には聞こえない!というか聞きたくない。                                           因みにワイパーを使って振り落とせばこんなことにはらなかっただろうが、私は正面から堂々と羽虫との勝負をしたかったのだ。

帰宅してから再度買った食材を確認すると、低脂肪ヨーグルトがすでにスプーンでかきまぜたかのような状態になっていた。はたしてこの勝負に私は勝ったのか負けたのか?泥状になったヨーグルトをすべて使い切るまで、蓋を開けるたびに自問自答することになるだろう。

若葉マークの悪夢


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なにを隠そう、私の運転歴はかれこれ32年にもなる。
振り返ってみて、自分でもよくもまあ取り上げられることもなく、無事に免許を維持して来たもんだと驚く。

若い人には信じられないかもしれないが、私が運転免許を取得した頃は、まだトランスミッション(マニュアル車の事)が主流で、オートマの車で免許を取る人は、「オートマ限定コース」という専用のコースを申し込まなければならないという時代だった。
それが今ではすっかり逆転して、マニュアル車に乗っていると人に話すと、まるで絶滅危惧種の生き物でもみつけたかのようなリアクションをされる。(因みに今年になってやっとオートマ車に買い換えました)32年という年月の長さを実感する。

私が免許を取るまで我が家には車が無かった。母親の方は結婚したての頃に免許を取ったそうだが、運転する機会に恵まれず程なくペーパードライバーとなり、やがては更新にも行かなくなったため失効してしまったらしい。
一方父親の方は性格的な問題から、免許を取ることを周囲から猛反対され、生涯の愛車は、鋼鉄でできているのか?と思うくらい重くてゴツイ自転車で貫いた。

そんな我が家にも、私が免許を撮ったおかげで車がやって来ることになったのだが、車に詳しい伯父や親戚の間で、「最初はぶつけるから中古車でいい」とか、「クセが付いていないから新車がいい」だとか勝手に論争が巻き起こり、肝心の運転する私が口を出す権利はほとんど与えられないまま、普通自動車だけどちょっと小型の、「トヨタ カローラII」(新車)が私の相棒に決定した。

案の定、運転し始めてすぐの頃はあちこち擦ったりぶつけたりしていたので「こんなことで大丈夫だろうか?私には周囲から運転を猛反対された父親の血が半分入っているのだ。そのうち人を轢いてしまわないだろうか?」と不安な時期もあった。
また運転自体も、車線変更にモタモタして目的地になかなか辿りつけなかったり、駐車場では駐車したものの出られなくなるという謎の迷路にハマり、知らない人に運転を助けられながら脱出したりと、初心者マークを付けている特権を理由に、何とか許してもらいながら肩身の狭い思いで運転をしていた。

免許を取ってから半年ほどが過ぎた頃、一日中強風が吹き荒れた日があった。その次の日、私がバイトから帰宅すると、父は竹箒で強風の後の掃き掃除をしていた。
すれ違いざまに私は耳を疑うような衝撃的な言葉を父から聞かされた。
父「車に付いていたマークが取れていたから、取れないようセメダインで貼っておいたからな」
私「え?マーク!?」
父が指さす方角を見て私は全身から血の気が引くのを感じた。
「マーク」とはボンネット上の、1年経ったら外すのがお約束で、若葉の形をした初心者マークのことだったのだ!
なるほど!私はその時初めて父が免許取得を猛反対された理由を痛感した。1年こっきりの初心者マークをセメダインで貼り付けるなど、まさに常識の斜め45度の発想。人の命に関わる運転なんてもってのほかだ!
(因みにセメダインとは主に工業用の、大変強力な接着剤のことだ。剥がすのは至難の業)
これからは何回免許を更新しても、ずっと初心者のままだという未来を想像すると、感心などしている場合ではないが、怒りを通り越し呆れてしまった。
この件で父は母から散々なじられ、私といえば、もともと父とは余り口を聞いていなかったが、輪をかけて口を聞かなかくなったので、父は完全に孤立。暗黒の時期を過ごすこととなった。
しかし「永遠の初心者」という心配は杞憂に終わった。ほどなくして私は追突事故を起こし、ボンネットごと若葉マークを外すことになったのだ。良かれと思ったのに非難された父の恨みだろうか?

父はその後も、母が種から育ててやっと土から顔を出したばかりの花の新芽を、雑草と共に葬ったり、場の空気を無視した爆発爆弾発言などを繰り返し、年がら年中家族の地雷を踏み続け、昨年89歳の寿命を全うした。
死んでもなお生前の不始末をほじくり返される父は、そのことを知ってか知らずかリビングに置かれた額縁の中から今日も微笑んでいる。

人類みな兄弟ではないからこそ親切は有難い。


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近ごろ朝に散歩をするようになった。きっかけはコロナワクチンの副反応で筋トレを4日間休んだためのリハビリとしてだった。
朝の澄んだ空気、人気のない静けさ、思わぬ景色との出会いも楽しい。しかしハマった1番の理由は散歩あとの食事の美味さだ。
どんな「粗食」でもたちまち美食に変えてしまう力がある。因みに念の為書いておくと、この場合の粗食とはジャンクフードのことではなく、油抜き・野菜多め・低糖質の食事のことである。

散歩はウォーキングでもあるため、「有酸素運動をすると筋肉が付きにくい」という理由から避けてきたが、よくよく調べてみると(バズーカ岡田さんの動画等で)タイミングや強度を調節すれば、除脂肪には効果があると知り、毎朝30分を目安に歩くことにした。

今朝は起きると外はまだ暗く、道路の地面も濡れていた。散歩に行けるか思案していたが、雲は切れかかっているし、雨も上がっていてので、いつものごとく白湯とプロテインを飲んでから出かけた。
ところが歩き始めて5分としないうちに小雨が降り出し、次第に雨足が強くなりとうとうずぶ濡れに。しかし散歩もほぼ中盤をすぎていたため、そのまま歩き続けた。

途中、朝のゴミ出しに忙しなく行き来する人や、傘をさしておしゃべりしながらウォーキングをする2人連れなどとすれ違ったが、「傘を貸す」まではとはいかなくても「大丈夫ですか?」の一言も声をかけられなかった。唯一言葉を交わしたのは雨が降るまえに挨拶を交わした散歩中のご夫婦のみ。

一応女性だし、荷物もスマホのみだったし、1人でも声をかけてくれないもんかなぁ?と思ったが、考えてみると自分も多分声をかけないだろうと思う。何故なら怖いからだ!?
そこに考えが辿り着いて何だか悲しくなった。
その昔、笹川良一さんという方が語っていた「人類みな兄弟」は何だったのだろう?
現代では、夜遅い時間ではなく、朝早い時間に田舎の住宅街で雨に濡れて歩く人は「怖い人」で兄弟ではないのだ。

しかしそんな世の中でも、稀に人から親切を受けたり、気にかけて貰うこともある。
そう考えると人の親切や好意というものが、如何に希少なもので「有難い」ことかがわかる。宝くじに当たるくらい「得難い」ことなのだから、そこに期待をしたら人はたちまち不幸になってしまうだろう。

人は1人では生きて行けないし、どこかの誰かの働きのおかげで、食べたり勉強できたり健康でいられる。でもやはりそこを踏まえた上で1人でも楽しく生きられるようになることが幸せになる秘訣だなと、ふんどしを締め直す。
朝の散歩は楽しくもあるが、色んなことを考えるきっかけにもなっている。

しぼんだバランスボールと蘇る思い出


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母親の介護を始める少し前ぐらいから水泳にハマっていた時期がある。
初めは水の中を歩いて痩せるのが目的で通い始めた。歩くのはプールの広さ3分の1程度の端っこのレーン。他は泳ぎ自慢の人達が水しぶきをあげているレーンだ。
歩き利用者の多くは女性で年齢層も高め。隣同士で世間話に花を咲かせながら、25メートルを行ったり来たりしている人もいる。最初は周りの見よう見まねでやった気になっていたが、次第にもの足りなさを感じ始めた。

そんな折り、ふと隣のガッツり泳ぐ人のレーンが目に入った。まるで水の中を滑るように、且つ私が歩く何倍ものスピードで、あっという間に向こう側に着くと、ターンの華々しい水しぶきをあげている。
それを見た瞬間、小学生のころ近所に市民プールができたこともあり、夏休みは学校のプールの他に、市民プールにも泳ぎに行っていたくらいの水泳好きだったという記憶が瞬く間にフラッシュバックした。
「泳ぎたい!」

しかしブランクは20年以上。しかもその頃は仕事が終わる時間が不規則なため、水泳教室に通うのは無理。
ならばとインターネットで動画を探し、泳ぎの基礎に始まり、息継ぎの仕方、バタ足の動き、抵抗を少くして泳ぐための姿勢、クロールの手のかきかた、回転するターンのしかた、平泳ぎの手足の動き、背泳ぎ、果てはバタフライ(少ししか泳げるようにはならかったけど)までを全部学んだ。
そして週に3日プールに通い、ひたすら動画で見たスムースで流れるようなフォームを脳内再生しながら練習に励んだ。
回転するターンをマスターした時は嬉しくて一度に何キロも泳いだことを覚えている。

不思議なもので、泳ぎに自信が着くと水着も派手になっていくのが、公営プールの相場のようだ。私自身もご多分にもれず、初めはスクール水着に毛が生えたような、紺地に申し訳程度「arena」というブランドロゴが胸元に入っただけの地味なものだったが、次第むに地色は紺でも派手な花柄や幾何学模様のデザインの物を選ぶようになり、更にキャップやゴーグルも水着に合わせ、トータルコーディネートを楽しむようになった。

投資したのは着用するものばかりではなかった。水泳の場合「力」は余り関係ないが、体幹を鍛えることによって推進力が上がるというのを見て、バランスボールを購入し、体幹レーニングにも取り組んだ。我ながらアスリート並の入れ込みようだったと思う。
しかしその後母の介護と仕事をクビになったのとで、プール通いができなくなったのと同時にバランスボールは納戸の奥で長いこと眠ったままだった。

今は筋トレにハマっているが、読んでる本に、バランスボールは老化防止に役立つと言うのを読んで、再び存在を思い出した。「ボールに座るだけでいいならもう一度やってみるか!」
引っ張り出しては見たものの、経年劣化なのか、単に空気が抜けたのか何となく弾力というか張りが足りない。空気を入れようにも空気入れをどこに仕舞ったのかが思い出せない…浮き輪のように口でいけるかと思いきや、間違って逆に空気を抜いてしまった。せっかく約20年振りぐらいに思い出されたのに再び納戸の奥へ。そのうち捨てられる運命だろう。

一方思い出の方はバランスボールのようにしぼんだり、忘れてしまったようでいて実は鮮やかにしっかり覚えているものだ。特に昔の思い出ほどその傾向にある。
こうしてみると私の凝り性は今に始まったことではないようだ。

安心感の味


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ここ数日コロナワクチンの副反応で何年かぶりに寝込んだ。
安静にして横になっていたというだけなら最近だと骨折の時になる。しかしそれでももう4年も前のことになる。

体調を崩して具合が悪かった時で思い出すのは、私の場合決まって小学校低学年の頃だ。そのころ私は「自家中毒」という症状で度々具合を悪くしていた。
病気の説明をすると長くなるので詳細は省くが、要はストレスに弱い繊細な子供だった。
そんな時母はどんなに忙しくても私の世話をして、眠るまで傍にいてくれた。それだけで安心したものだった。
そしてもう1つの思い出は手作りの「パンプディング」だ。牛乳と卵と砂糖だけで蒸した素朴な味だったけど大好きで、具合が悪くてもこれだけは食べられることもあり、いつもねだって作ってもらった。いつも同じどんぶり?スープカップ?で作って貰っていたので、器の絵柄もおぼろげに覚えている。

やがて高学年になると、その症状はぴたり出なくなり、時は流れ30代後半になると、今度は私が母に対して、してもらったようなことをする番になった。その後は父親にも。
子供の頃の、あの心細さを埋めるくらい同じ事ができていたのだろうか…
最近はずっと自分がケアをする立場だったせいか、片足が使えない以外は元気だった骨折の時は、看護師さんの気遣いにすら恐れ多く、案外気丈だった。
でも今回は久々の発熱(いつ以来だ?)と体の具合の悪さで寝込み、母のパンプディングの味を思い出した。

が、実際は全く作る気にもなれず、毎日お粥、玉子、オートミールにバナナという、味気ないワンパターンメニューで乗り切った。
でも仮に作ったとしても、あの頃と同じ美味しさは感じなかっただろう。なぜならあの美味しさは、母親の愛情に包まれた安心感に他ならないからだ。

いま、まさにコロナで孤独な入院、または自宅療養生活をしている人の不安はいかばかりだろうと思う。ワクチン接種で重症化はしなくなるとはいえ、覚悟が必要だ。

2位でもいいのが自己肯定感

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ここ最近私は「禅語」にハマっている。
みうらじゅんさんの「最後の講義」という番組を見て、仏教に興味を持ったのがきっかけ。以後、みうらさんの名著「マイ仏教」を経て、玄侑宗久さんの本や、養老孟司先生の本を読み漁った。ちょうど7月の「即席読書家」期の話しだ。また、YouTubeではお坊さんがお悩みに一問一答している動画や、般若心経等のお経を音楽アレンジした配信をしている方もいらっしゃる。「禅」や「仏教」がかなり身近なものになってきていることもハマる要因の一つになったと言えるだろう。

玄侑宗久さんはお坊さんなので当然だが、養老先生は解剖学者なのに、考え方に仏教的な部分を多く感じる。例えば「自分は存在しない」は禅の「色即是空 」に通じる。養老先生の言葉をとても短絡的に訳すると、自分というものは単体で存在してるのではなく、様々な条件のもとにたまたま生じているだけ。だから自分探しは無意味だよということだ。(もちろん色即是空についてはもっと深い意味が有ります。)だってこの世は全て諸行無常。毎日、いや一分一秒後でさえ全く同じ状態なものは1つも無いのだから。

そんな禅にかぶれ始めた(信仰心は無い)ある日、YouTubeの一問一答の動画を見て、悟りを開いた?いやいや、長年考え続けていた謎が解けた瞬間があった。
それは自己肯定感の定義だ。私は自慢じゃないが自己肯定感が低い人間だと自負している。しかし自己受容だけはできている。ダメな自分でも仕方ない、という諦めのような境地だ。だけど今の世の中は「自己肯定感をあげよう!」的な風潮を少なからず感じる。現にそのような著書や、コンテンツを多く見かける。「あげなきゃダメなの?じゃあ自己肯定感が高いってどういう状態?」と常に疑問を持ち続けてきた。その答えが見つかったのだ。

それは、つまるところ「どっちでもいい」だった。
一昔前に、ある女性議員が事業仕分けで言い放った「2位じゃダメなんでしょうか?」という言葉が物議を醸したが、まさにアレ。
1位でも2位でも3位でもいいよ。この「こだわりの無い境地」が自己肯定感が高い状態とそのお坊さんは語る。
これはまさに禅語でいうところの、「雨奇晴好」(うきせいこう)だ!「雨もまたよし、晴れればまたよし」どんな状況もあるがままの状態をちゃんと見れば悪いことばかりではない。これこそが究極のプラス思考ではないだろうか?

私は知らぬ間に自分で人生のハードルを高くしていたのだなと気づき、自然のまま、あるがままに身を任せて生きようと、心底思えた瞬間だった。
実はいま、「第二次即席読書家」期が到来しており、禅語の本と般若心経の解説本を同時進行で読んでいる。また新たな気づきが得られそうな気がしているが、禅の教えでは、それすら捨てなければならないことであろう。