つれづれ色々綴るブログ

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2位でもいいのが自己肯定感

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ここ最近私は「禅語」にハマっている。
みうらじゅんさんの「最後の講義」という番組を見て、仏教に興味を持ったのがきっかけ。以後、みうらさんの名著「マイ仏教」を経て、玄侑宗久さんの本や、養老孟司先生の本を読み漁った。ちょうど7月の「即席読書家」期の話しだ。また、YouTubeではお坊さんがお悩みに一問一答している動画や、般若心経等のお経を音楽アレンジした配信をしている方もいらっしゃる。「禅」や「仏教」がかなり身近なものになってきていることもハマる要因の一つになったと言えるだろう。

玄侑宗久さんはお坊さんなので当然だが、養老先生は解剖学者なのに、考え方に仏教的な部分を多く感じる。例えば「自分は存在しない」は禅の「色即是空 」に通じる。養老先生の言葉をとても短絡的に訳すると、自分というものは単体で存在してるのではなく、様々な条件のもとにたまたま生じているだけ。だから自分探しは無意味だよということだ。(もちろん色即是空についてはもっと深い意味が有ります。)だってこの世は全て諸行無常。毎日、いや一分一秒後でさえ全く同じ状態なものは1つも無いのだから。

そんな禅にかぶれ始めた(信仰心は無い)ある日、YouTubeの一問一答の動画を見て、悟りを開いた?いやいや、長年考え続けていた謎が解けた瞬間があった。
それは自己肯定感の定義だ。私は自慢じゃないが自己肯定感が低い人間だと自負している。しかし自己受容だけはできている。ダメな自分でも仕方ない、という諦めのような境地だ。だけど今の世の中は「自己肯定感をあげよう!」的な風潮を少なからず感じる。現にそのような著書や、コンテンツを多く見かける。「あげなきゃダメなの?じゃあ自己肯定感が高いってどういう状態?」と常に疑問を持ち続けてきた。その答えが見つかったのだ。

それは、つまるところ「どっちでもいい」だった。
一昔前に、ある女性議員が事業仕分けで言い放った「2位じゃダメなんでしょうか?」という言葉が物議を醸したが、まさにアレ。
1位でも2位でも3位でもいいよ。この「こだわりの無い境地」が自己肯定感が高い状態とそのお坊さんは語る。
これはまさに禅語でいうところの、「雨奇晴好」(うきせいこう)だ!「雨もまたよし、晴れればまたよし」どんな状況もあるがままの状態をちゃんと見れば悪いことばかりではない。これこそが究極のプラス思考ではないだろうか?

私は知らぬ間に自分で人生のハードルを高くしていたのだなと気づき、自然のまま、あるがままに身を任せて生きようと、心底思えた瞬間だった。
実はいま、「第二次即席読書家」期が到来しており、禅語の本と般若心経の解説本を同時進行で読んでいる。また新たな気づきが得られそうな気がしているが、禅の教えでは、それすら捨てなければならないことであろう。