つれづれ色々綴るブログ

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やっぱり最期に食べたいのは思い出の味

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近ごろ歌は昔の歌謡曲が心に響くようになり、海外旅行にも興味が全く湧かなくなった。食べ物も同様。食に対する好奇心が減ってきているように思う。そんな折り、人生を通して「食」と向き合ってきた管理栄養士のドキュメントを見た。その方は大阪のとあるホスピスで、末期がん患者向けに週一で「リクエスト食」を提供しているのだそう。そこで聞き取ったリクエスト食はホントに何気ないメニューが殆ど。彼女は「食事は人生の思い出が隠し味付」だと語る

明日がこの世の最後だとしたら何が食べたい?などという話しを耳にしたことがあるが、私はこれまでそういうことを考えたことが一切無い。しかし最近ダイエットをしていることもあり、食に関して考える機会が増えている。私が人生最後に食べるとしたら何がいいだろう?

 

出てきたのが「おくずかけ」だった。おくずかけは宮城の郷土料理で、醤油味の汁でたくさんの野菜と豆麩を煮込み、片栗粉でとろみをつけた汁物の料理だ。主にお盆やお彼岸に食べるのだが、子供のころに祖母の家でかわりご飯と共に食べた思い出が強く残っている。

私は幼少期を角田市で過ごしたが、一言では説明しきれない、風変わりな家庭環境で育った。そのためか、母は仙台に用事があるたび、ちょくちょく私を連れて祖父母の家(実家)へ。今思いかえしてみても、祖父母の家は一番ホッとできて、子供らしくしていられる場所だった。夏休みや冬休みは母親無しでも泊りに行っていたので、どんな間取りの家だったか、隅々まで記憶している。

 

最も印象に残っているのが、一階の祖父母の寝室だ。欄間に床の間に縁側、そして明り取りの窓、と典型的な昔の和室だ。私が泊まりに行った時には、父母と一緒にこの部屋で眠り、昼間は相撲の軍配や日本刀のレプリカを使って遊んだものだ。襖を隔てた向こう側が茶の間で、南側と西側が続きの出窓になっている。出窓の下は収納ができる小さな押入れで、祖父が収納している私物を見せてもらうのも楽しみの一つだった。また部屋の中央には掘り炬燵があり、小学校に上がるくらいまでは本当に炭を使っていたので、潜って遊んでよく怒られたのを覚えている。

そういう家で、夏場に祖母がふるまってくれた料理の一つが「おくずかけ」なのだ。その時の食卓に一緒に並んでいたのは、かわりご飯やずんだのおはぎ、筑前煮に漬物等々。普通の子供はあまり喜ばないであろうメニューだが、この家で親戚と一緒に食べる食事が、私にとってのご馳走で「人生の思い出の味」であることに間違いない。

 

自分で料理をするようになり、母の残したレシピを見ながら作ってみたことがある。口に会う味には作れたが、結果使う食材の種類が多く、高額な料理になってしまった。さらに一人分だけの量を作ることはカレー以上に至難の業。しかも夏場なのですぐに傷んでしまい、半分以上を食べずに廃棄という、もったいないことに。以来「おくずかけ」は封印。食べたくても食べられない料理になっている。

 

番組の最後に彼女は「人生の最後に食事を通して、思い出を分かち合う」ことが大事だとも語っていた。私の場合それが出来そうなのは、祖父母の家で一緒に食事をしたことのある、年上の従姉だけになるが、私が最後の食事をする時に生きている確率はかなり低い。これから超高齢化社会を迎えるというのに、そもそもそんなお願いを聞いてくれるような最期を迎えられるのかも疑問だ。

ならば今流行りのマインドフルネスを利用し「毎食を最後の食事の気持ちで味わって食べる」のはどうだろうか?

これなら食べ過ぎにも効果があるのでダイエッターの私にはもってこいの方法。「おくずかけ」は無理でも、「常日頃の食事が最後に食べたいもの」、というのは人聞きもいいのではないか?

以来、息絶えるまで思い出は思い出として味わい、毎食を美味しく味わって食べることが当面の目標になっている。

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⬆ちょっと祖父母の家の和室に近いかなぁと思う画像です。

⬇こんな感じのシンプルな飾り窓が有りました。

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