つれづれ色々綴るブログ

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若葉マークの悪夢


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なにを隠そう、私の運転歴はかれこれ32年にもなる。
振り返ってみて、自分でもよくもまあ取り上げられることもなく、無事に免許を維持して来たもんだと驚く。

若い人には信じられないかもしれないが、私が運転免許を取得した頃は、まだトランスミッション(マニュアル車の事)が主流で、オートマの車で免許を取る人は、「オートマ限定コース」という専用のコースを申し込まなければならないという時代だった。
それが今ではすっかり逆転して、マニュアル車に乗っていると人に話すと、まるで絶滅危惧種の生き物でもみつけたかのようなリアクションをされる。(因みに今年になってやっとオートマ車に買い換えました)32年という年月の長さを実感する。

私が免許を取るまで我が家には車が無かった。母親の方は結婚したての頃に免許を取ったそうだが、運転する機会に恵まれず程なくペーパードライバーとなり、やがては更新にも行かなくなったため失効してしまったらしい。
一方父親の方は性格的な問題から、免許を取ることを周囲から猛反対され、生涯の愛車は、鋼鉄でできているのか?と思うくらい重くてゴツイ自転車で貫いた。

そんな我が家にも、私が免許を撮ったおかげで車がやって来ることになったのだが、車に詳しい伯父や親戚の間で、「最初はぶつけるから中古車でいい」とか、「クセが付いていないから新車がいい」だとか勝手に論争が巻き起こり、肝心の運転する私が口を出す権利はほとんど与えられないまま、普通自動車だけどちょっと小型の、「トヨタ カローラII」(新車)が私の相棒に決定した。

案の定、運転し始めてすぐの頃はあちこち擦ったりぶつけたりしていたので「こんなことで大丈夫だろうか?私には周囲から運転を猛反対された父親の血が半分入っているのだ。そのうち人を轢いてしまわないだろうか?」と不安な時期もあった。
また運転自体も、車線変更にモタモタして目的地になかなか辿りつけなかったり、駐車場では駐車したものの出られなくなるという謎の迷路にハマり、知らない人に運転を助けられながら脱出したりと、初心者マークを付けている特権を理由に、何とか許してもらいながら肩身の狭い思いで運転をしていた。

免許を取ってから半年ほどが過ぎた頃、一日中強風が吹き荒れた日があった。その次の日、私がバイトから帰宅すると、父は竹箒で強風の後の掃き掃除をしていた。
すれ違いざまに私は耳を疑うような衝撃的な言葉を父から聞かされた。
父「車に付いていたマークが取れていたから、取れないようセメダインで貼っておいたからな」
私「え?マーク!?」
父が指さす方角を見て私は全身から血の気が引くのを感じた。
「マーク」とはボンネット上の、1年経ったら外すのがお約束で、若葉の形をした初心者マークのことだったのだ!
なるほど!私はその時初めて父が免許取得を猛反対された理由を痛感した。1年こっきりの初心者マークをセメダインで貼り付けるなど、まさに常識の斜め45度の発想。人の命に関わる運転なんてもってのほかだ!
(因みにセメダインとは主に工業用の、大変強力な接着剤のことだ。剥がすのは至難の業)
これからは何回免許を更新しても、ずっと初心者のままだという未来を想像すると、感心などしている場合ではないが、怒りを通り越し呆れてしまった。
この件で父は母から散々なじられ、私といえば、もともと父とは余り口を聞いていなかったが、輪をかけて口を聞かなかくなったので、父は完全に孤立。暗黒の時期を過ごすこととなった。
しかし「永遠の初心者」という心配は杞憂に終わった。ほどなくして私は追突事故を起こし、ボンネットごと若葉マークを外すことになったのだ。良かれと思ったのに非難された父の恨みだろうか?

父はその後も、母が種から育ててやっと土から顔を出したばかりの花の新芽を、雑草と共に葬ったり、場の空気を無視した爆発爆弾発言などを繰り返し、年がら年中家族の地雷を踏み続け、昨年89歳の寿命を全うした。
死んでもなお生前の不始末をほじくり返される父は、そのことを知ってか知らずかリビングに置かれた額縁の中から今日も微笑んでいる。