つれづれ色々綴るブログ

こちらのblogではエッセイを書いています。楽しんで頂けたら幸いです♪

楽しいドライブとハイコストな陶芸体験記

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墓参りを予定通りに終わらせ、いざ加美町へ!北山から264号線のトンネルを潜り、宮城学院を右に見ながら泉区の住宅街を通り抜ける。左手にタワマンと見間違えそうなエバーグリーン松田病院。その向こうにロイヤルパークホテルと泉パークタウンのアウトレットモールがある。さらに道路を挟んだお向かいには乗馬クラブにゴルフ場と、この辺りはバブル期を彷彿とさせる雰囲気のエリアだ。そこを過ぎれば仙台市の最北端、県立図書館と、泉区内に住まないと通うのがしんどそうな宮城大学がある。     

ここからは県内屈指の工業地帯がある大和町大衡村色麻町加美町という道のりだ。その中でも色麻町から加美町へ向かう156号線の景色は私の大のお気に入り♪「純・田園風景」というか、ここだけ時空の流れがとてもゆっくりに感じる。10km手前に自衛隊駐屯地があるだなんで信じられないくらい静かでのどかな田園風景を堪能できる。さらに今回は加美町に入る交差点手前の田んぼに、稲藁を棒がけして干しているのを発見!今どき珍しい光景(ビニールでラッピングする方法が今は大半)に思わず車を停めてスマホに画像を収める。交差点を左折し最初の訪問先「ふるさと陶芸館」に向けて262号線をひた走る。陶芸館では人生初の陶芸にチャレンジをするのだ!

陶芸館には定刻通り、教室の開始時間10分前に到着。山の中の静かなところだ。正面の大きな建物が「切込み焼き」の展示が見られる記念館。右隣が陶芸教室の建物のようだ。記念館のWEBサイトによると陶芸体験を受けるには、当日の30分前からの申し込みとあった。実は前々日に陶芸教室について問い合わせの電話をしていたのだが、その時に当日よりも事前予約を強く勧められた。余程好評で混み合うのだろうと思いきや、駐車場には私の軽自動車以外1台も居ない!聞こえるのは川のせせらぎと鳥の鳴き声のみ…一抹の不安を感じつつも、まずは受付のために記念館へ。陶芸教室で作ったものは、後日釜で焼かれるので、直接取りに来るか送って貰うかのどちらかを選べるが、私は迷わず送ってもらう方を選んだ。その場合別途送料がかかることは承知していたが、1000円弱もかかると知り、受講料と併せると約2500円の作品となることが判明した...それでも体験にお金を払うんだ!と必死に自分に言い聞かせ、別棟の教室の建物内で開始時間までじっと待つ。                                   開始時間の10時半になると、白髪の先生と思しき年配の男性が中から鍵を開け、電気を点けて迎え入れてくれた。どうやら本当に今日の生徒は私一人だけのようだ。始めに何を作りたいのかを聞かれ、私は魚の切り身を載せるのにちょうどいい皿を作りたいと伝えた。希望のデザインについても色々聞かれたが、旅の準備に忙しく考える暇もなかったので、とりあえず縁のついた角の丸い長方形の皿を作ることにした。作り方は至ってシンプル。粘土を手で叩いて伸ばし、ふちにする周りをヘラで少し持ち上げ、最後に水をつけながら表面をならす。以上!(笑)時間しにして30分・・・で終わった。問い合せた時に聞いていた所要時間は、たしか1時間半から2時間だったが?                              よくよく教室内を見まわすと、以前来られた方が作った素焼き前の作品や、販売用に作られた作品などが多数並べられている。それらを見ると表にヘラで模様を付けていたり、葉っぱの形を模したデザインのものなどもあった。その時初めて伝えられた所要時間の意味を悟った。さらに先生曰く、「作りたい形やデザインを決めてから来られる方がいいんですよ」なら電話で一言そう伝えて欲しかった...トホホ…

時間単価を考えると自分を殴りたくなるのでやめておくが、色んな意味でとても貴重な体験になった。それに切込み焼き記念館の展示物をゆっくり眺めることもできた。     さて、次は昼ごはん♪ジンギスカンにしようか岩魚の塩焼きと蕎麦にしようか、さっきまでの失敗はきれいさっぱり忘れ、道すがら見つけた馬をホクホクとスマホに収めたりしながらのんきな旅はつづく。

 

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↑ 陶芸記念館らしく入口ドアーの取っ手も陶器でした。

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↑ お馬さんの写真を撮っていたら視線を感じたので振り返ったら、睨みをきかせたお巡りさんが(笑)

思い立ったら墓参り日


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たまたま4連休をもらう機会ができた。なかなか無いことなのでシフトをもらった時から既にうきうき♪初めはまじめに断舎利しようか?とか日頃ほったらかしにしている箇所の掃除をしようか?とあれこれ考えるも、季節は初秋のまっただ中!毎日朝散歩で自然に触れているとはいえ、たまには違う景色も見たい!!思い切って数年ぶりにやくらいガーデンに行くことを決意した。とはいえ貧乏旅行の身。ガソリン代以外はなるべく出費を抑えたい。3日前から有料道路を使わずに行くルート戦略を、グーグル先生と練り始めた。

そんな3日前の夜、何きっかけかは思い出せないが、神奈川に住んでいた母の弟にあたる伯父のことを思い出した。伯父夫婦は家にも泊りがけで遊びに来たことがある。そこから今度は自分が子供のころに、友達と夏休みに母の兄にあたる伯父の家に泊りがけで遊びに行ったことを思い出した。しかも泊めてもらっただけではなく、従兄弟には松島にドライブに連れて行ってもらったことも思い出した。今考えるとなんて図々しい姪っ子だろう・・・ホントに良くしてもらったなあ、と心の底から感謝の気持ちが湧いてきた。

そんな優しい伯父は昨年11月に亡くなったのでもうじき一周忌だ。しかし私の住む田舎町から仙台に墓参りに行くのはなかなかハードルが高く、お葬式には参列したが、それ以降は線香の一本もあげに行くことがままならず、忙しさも相まって墓参りもご無沙汰している。

今だ!いや、今でしょ!私はやくらいガーデンに行く前に仙台に立ち寄り、墓参りができないか算段を立ててみた。G(以後グーグルは「G」で表記先生は私の相談に仙台のお寺まで2時間かかるという回答を返してきた。「まさか!?朝の7時台がそんなに込むわけがない!」と今までの経験から思ったが、その時は土日祝日だったような気がする。ならばと、間をとった時間に出発することにした。

かくして当日の朝、前々日から弁当や飲み物の準備、温泉に入る予定だったので着替え等々、万端に整えていたと思っていたが、いつもどこか計算が甘い私は、予定より30分遅れての出発となった。仙台市に入るまでは順調で渋滞の心配は杞憂だったかとすら思うほど。いかし都心部に近づくにつれ車の交通量がどっと増えてきた。ここでG先生に再び相談すると、回り道をしろとのことなので、長町からバイパスを降り仙台南高校脇の道を通る。「へえーここが南高校か~」などと感心している場合ではなく、渋滞部分をかなりショートカットできたものの、ここからが最も渋滞が激しい部分だった。休日の朝なら10分くらいで通過できる街中が20分以上もかかった。仙台は東西南北の地下鉄があるのにいまだ車社会なのだと実感。さらに市営バスも走っている。いらいらしながら運転していたせいか、慣れた道なのにお寺に入るところを通り過ぎてしまった。Uターンして何とか最初の寺に到着してみると、遅れはたったの5分だけでちょっと気抜け。買っていった花竹も、前に刺していたのが残っていたため無駄な出費となったが、子供の頃とはいえ、世話になったことを墓前でしっかりお礼ができ、晴れやかな気持ちで次の寺へ。

G先生のナビだとその寺からは10分足らずで行ける、はずだった。親切なG先生は近道を提示してくれるのだが、どの道なのかわからず、またしてもゆき過ぎてはUターン、一通の道(多分)を一部逆走してなんとか定刻に到着。その間尿意がMAXに近づいていることにもうすうす気づきはじめていた。伯母のお墓では、死期が近かった伯母の顔を見にゆくのが辛く、あまり面会に行かなかったことを詫びた。

なんとか仙台でのミッションをすべてクリアし、ホッとしたのと入れ替わりに、今度は尿意が決壊寸前に達してることに気づいた。幸いその寺には外にトイレがあることを知っていたので、小走りに急いで駆け込むもなんと紙が無い!!秋のお彼岸から約1ヶ月。墓参りシーズンオフのトイレに、ペーパーを補充することまで気が回るくらい、寺の経営は楽ではないのだろう。トイレットペーパーについてはさすがのG先生に聞いてもどうにもならず、今ごろ墓参りをしている自分の愚かさを嘆いた。

こんな切羽詰まった時でも人は頭の中でいろんな想いを巡らせるもので、本来亡くなった人の供養とは、お彼岸だからとか、お盆だからとか関係なくてもいいのではないだろうか?本当に心から供養したいときにその人のタイミングで行った方が、仏になった人も嬉しいのではないか?などと頭も体もせわしなく動かしながら、お寺近くのコンビニのトイレへそそくさと駆け込むのだった。

朝散歩は魔法の調味料

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健康的なダイエットに目覚めて半年が過ぎた。

筋トレと、高たんぱく・低脂肪・低糖質の食事を続けているが、このところ体脂肪率、骨格筋率ともにあまり変化がない。

そんなある日、朝に有酸素運動をすると脂肪燃焼率が上がるというのを思い出した。

有酸素運動は筋肉肥大を妨げるということも知っていたので、取り入れることをためらっていたが、さけていた結果が今の状態なわけだし、実験の感覚でやってみることにした。

 

まずどんな有酸素運動にするのか考えた。早朝に強度な運動は危険なので、やはりウォーキングだろう。では歩くならどういうところを歩けば飽きずに続くのか?を考えてみた。

私が朝のウォーキングで一番面倒だと思うことは、人とすれ違った時に挨拶するかしないかで迷うことだ。だから人になるべく会わない所いい。また交通量が多い騒がしいところも歩きたくない。

 

こういう時はグーグル先生に聞くのが一番だ。私は毎朝5時に起床し、歯磨きと洗顔後、常温の水をコップ1杯とプロテインを飲む。そのあとグーグルマップであらかじめ歩く道を調べてからスタート!田舎なのでのどかな風景の道がたくさん見つかるのだが、さらに早い時間だと車も少ないし、人にも会わずに済む。

どのくらい歩いているかというと、健康に良い影響がある歩数が一日7000歩前後ということを知り、朝散歩の歩数は大体4000歩台になるようにしている。時間にすると30分ほど。残り3000歩は日常生活で達成できる。

 

早朝の散歩では人や車に会わない代わりに、猫や鳥などの生き物に出会うことが多い。

自由ネコなのか飼い猫なのかわからないが、ある朝は猫会議の現場に遭遇したこともある。

その証拠を写真に残したいところだが、彼らの逃げ足の速さに私のスマホ操作が追い付かず、残念ながらいまだ実現できていない。先日は大変けたたましい面白い鳴き声の鳥を発見したので調べてみると、「ガビチョウ」という鳥で、ペットで飼われていた外来種が野生化した鳥で特定外来生物らしい。つまり存在をあまり喜ばれていない鳥・・・

他に珍しいものにも出会う。普通の住宅の郵便受けが白や黒色の郵便ポストだったり、八百屋さんの店先に「パンヅー」(パンジー)という手書きの立て看板があったり(笑)いろんな発見がある。それらを証拠として残すべく、スマホの持参は欠かせない。

 

朝散歩を始めてまだ数週間だが、体の変化としては、取り入れているトレーニングと、食事内容の変更の影響も手伝い、わずかだが体脂肪率の減少と骨格筋率が増加した。そして朝から頭がとてもスッキリしている。

他にも、交通量が少なく人と会うこともない早朝に田舎の町を歩くと、空の広さだとか、虫や鳥の鳴き声、澄んだ空気、植物の美しさ等々に気づき、普段見ている景色の見方が変わる。しかしなんといっても一番の「好果」は食事が美味しくなったことだ。

これまで朝食はそこまで積極的に食べたいとか、美味しいとは思えていなかったが、ここ最近はいちいち美味しく感じるようになった。これは別に自分が料理上手だということをアピールしているわけでは無く、ホントに「粗食」が美味しく感じられるようになったのだ。

 

つまるところ、朝散歩は私にとってまさに「粗食」を「美食」に変える、魔法の調味料。無くてはならないものになった。

※今回は証拠の画像を添付します↓

 

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原作にも劣らない深いストーリー

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NHK.jp アンという名の少女2より



「アンという名の少女」シーズン2の放送が始まった。

既にストーリーは3話までが放送済みだが、やっぱりアンはぶれていない、とても好きなキャラクターだということを、改めて実感している。しかしカルピス世界名作劇場を見ていた子供の頃に、大好きな「赤毛のアン」がこんな見ごたえのあるドラマになるだなんてことは想像できなかった。

シーズン1に関しての感想は「社会派ドラマになった「赤毛のアン」」でも記したが、シーズン1は主に原作に基づくストーリーが中心だ。特に前半部分は幼い、子供らしい自分中心のエピソードが殆どだが、後半部分からは次第に、悲しいできごとが起こり、アンの周りの人を思いやる優しさや、たくましさが顔を覗かせる。

同級生のルビーギリスの家が火事の時には、勇敢に家の中のドアを閉めに入り、火の手が回るのを抑えたり、親友ダイアナの妹が高熱に見舞われたときは、適切な処置で命の危機から救う。このような機転を利かせられたのは、孤児だった幼い時からの経験で得た知識とそして勇気だ。

シーズン2では、ジェリーが退職金として受け取るはずだった馬を売ったお金を強奪した二人がグリーンゲイブルズの下宿人として雇われる(ジェリーは初め気づかない)話からスタートする。二人は詐欺師で、アボンリーの土地から金が出たと嘘をつき、アボンリーの人々から発掘調査費用としてお金をだましとる。幸いマシューとマリラはお金を出さなかったが、そんな2人を雇っていたことを知り、少なからず傷心している。そんなある晩のシーンで語ったアンの言葉にとても感心した。因みに原作にはこんなストーリーはもちろん無い。

アンが詐欺師の下宿人だったネイトが残していった本を読んでいると、「その本は捨てた方がいい。今回のことは忘れるの」と言うマリラに対して、アンはネイトが金だと偽っていた石をマリラに見せながら「忘れたいとは思わない。ほらこの石よく見て!ネイトの本で見て知ったの。黄鉄鉱というの。ある程度明るいところで見ると本物の金に見える。」

「偽物と本物の見分け方を知っていれば騙されることは無い」とマリラ。すると賢いアンは子供とは思えない鋭いことを言い放つ。

「いつも最善を尽くすしかない。知識がどれだけあるかは関係なく。嫌な経験からでも意味のあることを学べるはず。それが成長につながる。」うーむ深い!物事の真理を悟ったと思えるような発言だ。そしてマリラはそんなアンに対し「口で言うのは簡単。でもそうい

う考え方はいいと思いますよ。」と戒めながらも優しく褒める。まるで視聴者側の気持ちを代弁するかのよう。さらにアンは続けて「フロストさんが直感を信じろと言ってくれた。だからそうする。」と、金騒動の真偽を確かめるべく訪ねて行った新聞記者のフロストから言われた言葉を思い出しかみしめる。

大人になると直感を信じられなくなる傾向にある。あれ?と一瞬頭をよぎっても、これまでの経験や、損得勘定、思い込みなどで目は曇りがち。純粋な子供ほど直感に忠実だ。この言葉には、自分自身を顧み反省させられた。

このドラマにも、どんなジャンルの作品にも通じるメッセージ、「悲しみに負けないで」が流れている。どんなにストーリーが原作と逸脱していても、結局アンという少女を通じて伝えたいことは、原作者のモンゴメリーと同じなのではないかと思う。枝葉末節にこだわっていてはもったいない。

そして「アンという名の少女」はシーズン3まであることと、テレビで放送される予定であることも知った!これから待ち受ける出来事にアンがどう立ち向かっていくのか、今年の冬の楽しみになること必至だ。

勝ったのか負けたのか?

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世の中には勝敗がはっきりしない戦いというものがある。積極的に攻めない代わりに、失点をしないようガチガチに守備を固めたうえで、針の穴を通すような一本の絶妙なスルーパスと、フォワードの勇気ある飛出しにより数少ないチャンスを確実に決めていくという、いわゆるサッカーの「負けない」戦い方や、どっちがイケてるか?というマウントの取り合いなどのように、主観的で不毛な争いを連想するのが一般的だろう。しかしもっとレベルの引くいところでは特殊な戦いもある。

私は週に一回、食料の買い出しに行くのがルーティン化している。自宅近辺にも名の通ったスーパーは何軒かあるのだが、産直の野菜が少なかったり、魚もいつも同じ種類ばかりが並んでいて、気に入ったものがあまり売られていない。したがってガソリン代と、片道15分の時間の消費に目をつぶり、ドライブ気分で隣町のスーパーまで出かけている。

先日もそのスーパーへ出かけたが、ついつい買い過ぎてしまい、持参したエコバックに入りきらなかったので、補助的に用意して来たレジ袋も使う羽目になった。買ったものはいつも車の後部座席でシートベルトを這わせて固定している。そうしないとちょっと深めにブレーキを踏んだだけで袋が倒れ、中身が散乱するという大惨状になるからだ。今回は袋が二つ分。メタボなオッサンのお腹まわりくらいの大きさになったが、シートベルトは何とか周ってくれた。

ほっとして帰宅するべく車を走らせると、間もなくフロントガラスに何かがついていることに気が付いた。最初はそれが水滴に見えたので雨が降ってきたとのかと、最近洗車したばかりなことを思い出しがっかりした。しかし良く見るとそれは小バエぐらいの大きさの羽虫だった。

これがなかなかの強者で、走っていればそのうち風圧に負けて飛んでいくだろうと思いきや、なかなか飛んで行かない。止まっている箇所がフロントガラスのため、目の前のヤツがだんだんと気になってくる。時々苦しそうに上下左右に体勢を変えたりはするものの、帰り道の半分まできてもまだしぶとくしがみついている。「こしゃくな!」こちらもだんだんとむきになってきたところで、ちょうど田んぼの中の直線一本道にさしかかった。後続車両もいない。一気に加速して交差点手前で急ブレーキをかけたその瞬間、敵はいままでのしぶとさが嘘のように一瞬で姿を消した。「勝った!」と心の中でガッツポーズ(笑)

しかしそれと同時に後部座席からドサッという耳障りな音が聞こえてきた。そう、買い物帰りには絶対起きてほしくない自体が起きてしまったのだ。しかも今日は卵を買っていて袋の一番上に乗せていた。すぐに車を路肩に停め事態の収拾にとりかかると、奇跡的に卵は無事だった!原因はシートベルトは周っていたがずり落ちていて、急ブレーキのGに荷物の重さが耐え切れず倒れてしまったようだ。「こんなくだらない競い合いをしたことが原因だろ!」という心の声は私には聞こえない!というか聞きたくない。                                           因みにワイパーを使って振り落とせばこんなことにはらなかっただろうが、私は正面から堂々と羽虫との勝負をしたかったのだ。

帰宅してから再度買った食材を確認すると、低脂肪ヨーグルトがすでにスプーンでかきまぜたかのような状態になっていた。はたしてこの勝負に私は勝ったのか負けたのか?泥状になったヨーグルトをすべて使い切るまで、蓋を開けるたびに自問自答することになるだろう。

若葉マークの悪夢


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なにを隠そう、私の運転歴はかれこれ32年にもなる。
振り返ってみて、自分でもよくもまあ取り上げられることもなく、無事に免許を維持して来たもんだと驚く。

若い人には信じられないかもしれないが、私が運転免許を取得した頃は、まだトランスミッション(マニュアル車の事)が主流で、オートマの車で免許を取る人は、「オートマ限定コース」という専用のコースを申し込まなければならないという時代だった。
それが今ではすっかり逆転して、マニュアル車に乗っていると人に話すと、まるで絶滅危惧種の生き物でもみつけたかのようなリアクションをされる。(因みに今年になってやっとオートマ車に買い換えました)32年という年月の長さを実感する。

私が免許を取るまで我が家には車が無かった。母親の方は結婚したての頃に免許を取ったそうだが、運転する機会に恵まれず程なくペーパードライバーとなり、やがては更新にも行かなくなったため失効してしまったらしい。
一方父親の方は性格的な問題から、免許を取ることを周囲から猛反対され、生涯の愛車は、鋼鉄でできているのか?と思うくらい重くてゴツイ自転車で貫いた。

そんな我が家にも、私が免許を撮ったおかげで車がやって来ることになったのだが、車に詳しい伯父や親戚の間で、「最初はぶつけるから中古車でいい」とか、「クセが付いていないから新車がいい」だとか勝手に論争が巻き起こり、肝心の運転する私が口を出す権利はほとんど与えられないまま、普通自動車だけどちょっと小型の、「トヨタ カローラII」(新車)が私の相棒に決定した。

案の定、運転し始めてすぐの頃はあちこち擦ったりぶつけたりしていたので「こんなことで大丈夫だろうか?私には周囲から運転を猛反対された父親の血が半分入っているのだ。そのうち人を轢いてしまわないだろうか?」と不安な時期もあった。
また運転自体も、車線変更にモタモタして目的地になかなか辿りつけなかったり、駐車場では駐車したものの出られなくなるという謎の迷路にハマり、知らない人に運転を助けられながら脱出したりと、初心者マークを付けている特権を理由に、何とか許してもらいながら肩身の狭い思いで運転をしていた。

免許を取ってから半年ほどが過ぎた頃、一日中強風が吹き荒れた日があった。その次の日、私がバイトから帰宅すると、父は竹箒で強風の後の掃き掃除をしていた。
すれ違いざまに私は耳を疑うような衝撃的な言葉を父から聞かされた。
父「車に付いていたマークが取れていたから、取れないようセメダインで貼っておいたからな」
私「え?マーク!?」
父が指さす方角を見て私は全身から血の気が引くのを感じた。
「マーク」とはボンネット上の、1年経ったら外すのがお約束で、若葉の形をした初心者マークのことだったのだ!
なるほど!私はその時初めて父が免許取得を猛反対された理由を痛感した。1年こっきりの初心者マークをセメダインで貼り付けるなど、まさに常識の斜め45度の発想。人の命に関わる運転なんてもってのほかだ!
(因みにセメダインとは主に工業用の、大変強力な接着剤のことだ。剥がすのは至難の業)
これからは何回免許を更新しても、ずっと初心者のままだという未来を想像すると、感心などしている場合ではないが、怒りを通り越し呆れてしまった。
この件で父は母から散々なじられ、私といえば、もともと父とは余り口を聞いていなかったが、輪をかけて口を聞かなかくなったので、父は完全に孤立。暗黒の時期を過ごすこととなった。
しかし「永遠の初心者」という心配は杞憂に終わった。ほどなくして私は追突事故を起こし、ボンネットごと若葉マークを外すことになったのだ。良かれと思ったのに非難された父の恨みだろうか?

父はその後も、母が種から育ててやっと土から顔を出したばかりの花の新芽を、雑草と共に葬ったり、場の空気を無視した爆発爆弾発言などを繰り返し、年がら年中家族の地雷を踏み続け、昨年89歳の寿命を全うした。
死んでもなお生前の不始末をほじくり返される父は、そのことを知ってか知らずかリビングに置かれた額縁の中から今日も微笑んでいる。

人類みな兄弟ではないからこそ親切は有難い。


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近ごろ朝に散歩をするようになった。きっかけはコロナワクチンの副反応で筋トレを4日間休んだためのリハビリとしてだった。
朝の澄んだ空気、人気のない静けさ、思わぬ景色との出会いも楽しい。しかしハマった1番の理由は散歩あとの食事の美味さだ。
どんな「粗食」でもたちまち美食に変えてしまう力がある。因みに念の為書いておくと、この場合の粗食とはジャンクフードのことではなく、油抜き・野菜多め・低糖質の食事のことである。

散歩はウォーキングでもあるため、「有酸素運動をすると筋肉が付きにくい」という理由から避けてきたが、よくよく調べてみると(バズーカ岡田さんの動画等で)タイミングや強度を調節すれば、除脂肪には効果があると知り、毎朝30分を目安に歩くことにした。

今朝は起きると外はまだ暗く、道路の地面も濡れていた。散歩に行けるか思案していたが、雲は切れかかっているし、雨も上がっていてので、いつものごとく白湯とプロテインを飲んでから出かけた。
ところが歩き始めて5分としないうちに小雨が降り出し、次第に雨足が強くなりとうとうずぶ濡れに。しかし散歩もほぼ中盤をすぎていたため、そのまま歩き続けた。

途中、朝のゴミ出しに忙しなく行き来する人や、傘をさしておしゃべりしながらウォーキングをする2人連れなどとすれ違ったが、「傘を貸す」まではとはいかなくても「大丈夫ですか?」の一言も声をかけられなかった。唯一言葉を交わしたのは雨が降るまえに挨拶を交わした散歩中のご夫婦のみ。

一応女性だし、荷物もスマホのみだったし、1人でも声をかけてくれないもんかなぁ?と思ったが、考えてみると自分も多分声をかけないだろうと思う。何故なら怖いからだ!?
そこに考えが辿り着いて何だか悲しくなった。
その昔、笹川良一さんという方が語っていた「人類みな兄弟」は何だったのだろう?
現代では、夜遅い時間ではなく、朝早い時間に田舎の住宅街で雨に濡れて歩く人は「怖い人」で兄弟ではないのだ。

しかしそんな世の中でも、稀に人から親切を受けたり、気にかけて貰うこともある。
そう考えると人の親切や好意というものが、如何に希少なもので「有難い」ことかがわかる。宝くじに当たるくらい「得難い」ことなのだから、そこに期待をしたら人はたちまち不幸になってしまうだろう。

人は1人では生きて行けないし、どこかの誰かの働きのおかげで、食べたり勉強できたり健康でいられる。でもやはりそこを踏まえた上で1人でも楽しく生きられるようになることが幸せになる秘訣だなと、ふんどしを締め直す。
朝の散歩は楽しくもあるが、色んなことを考えるきっかけにもなっている。