つれづれ色々綴るブログ

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人間は環境という考え方

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今朝はスマホのアラームより30分も早起きした。たしか台風の影響で雨が降るはずなのに、窓の外では、まるで最期の大仕事と言わんばかりに、盛んに蝉が鳴いている。これも自然の摂理ということなのか。

自然といえば、最近読んだ本の中に養老孟司先生の「自分の壁」がある。先生は「人間は自然だ」とこの本に限らず語っている。どういうことかと言うと、人は田んぼで作った米や、海で採れた魚を食べることで体内に入れている。それが自分の体の一部になっていく。ひいてはその米が採れた田んぼ土や水、そして降り注ぐ日光も自分になってくということだという。つまり自然(環境)は自分なのだと。
「なるほど!」心の中でポンと膝を叩いた。
環境と自分は別ではない。切り離して考えるからおかしなことになるのだ。続けてスギ花粉症は、杉の木ばかりを植えたために起こっている症状だとおっしゃる。(因みに先生は解剖学者なのでお医者さんです)自然のサイクルに合わせた育成方法を取ればいいだけだが、それでは「経済が成り立たない」というわけです。そこで思考停止している現代ですが、はたしてそのままでいいのか?と養老先生は言いたいのでしょう。

私が福島の廃炉資料館に行った後、エネルギー問題について調べた時に同じことにぶち当たった。
化石燃料はいずれ尽きる。今の生活を続けるには他のエネルギーではまかないきれない。となるとやっぱり原発しかなくなる。でもどんどん増えていく使用済み核燃料の始末はどうするんだ?そしてまたいつか大規模な自然災害が起きた時「想定外」の事故に我々は苦しめられる。やはり養老先生が唱える自分と環境は一心同体だということを思い出す必要があるように思える。
いっぽう蝉はといえば経済効率とは無縁の、短い一生を全うし道端等に転がっている。そんな事を考えて聴くと蝉の鳴く声も感慨深いものだ。